核兵器禁止・廃絶へ向け世界へGO!青年がウィーンで被爆国の「声」伝える

瀬戸麻由さん・ウィーンの国際センターの前で(22.6.23)

核兵器禁止条約の発効から1年半。22年6月には初の締結国会議がウィーンで開催されました。日本政府が不参加の中、市民団体等が独自に参加し、被爆国の声を伝えています。全厚労の集会にも参加されたNPO法人PCV核政策を知りたい広島若者有権者の会(カクワカ広島)で活躍する瀬戸麻由さんから現地参加のレポートを寄せて頂きました。

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6月16日から24日まで、核兵器禁止条約の締約国会議開催に合わせて、オーストリアのウィーンに渡航しました。5年前に国連で採択され、2021年1月についに発効した核兵器禁止条約。約1週間、本番の会議だけでなく、さまざまな催しが行われ、核廃絶を目指すたくさんの同志に出会い、大きな希望を感じました。

学んだことは、大きく3つあります。

1つ目は、世界中の核被害者、「グローバルヒバクシャ」の存在を再認識したこと。今回の会議の中ではカザフスタンや太平洋諸国の核実験被害など、多くの地域の核被害が話題になりました。私自身も、本会議前の週末に行われたICAN(核廃絶国際キャンペーン)が主催する市民社会フォーラムで、フィジーの女性と一緒に企画に登壇する機会がありました。マーシャル諸島の核実験被害について、「太平洋諸国の人々にとって先祖代々住んできた土地とのつながりがいかに大切なものかが痛いほどわかる。だからこそ、核実験によって土地を追われた人々の苦しみに共感する」と彼女は語りました。核被害の当事者性は「ヒバクシャ」と呼ばれる「人」に紐づくものだけでなく、「影響を受けた土地・コミュニティそのもの」にあるという意識づけを、この時だけでなく、この1週間で何度も感じました。

市民社会フォーラムに一緒に登壇したメンバーと(22.6.18)

同じ企画の中で私は、2011年にNGOピースボートが企画する船旅に参加した時に、ヒバクシャと出会ったことが今の活動の原動力になっていることをお話ししました。当時私が出会ったのは、広島・長崎で原爆を経験した被爆者、そしてオーストラリアのウラン鉱山のそばで放射線被害を受けているという「ヒバクシャ」のグループでした。その中に、私の1つ年下の女の子がいました。彼女のふるさとで採掘されたウランは、日本の原子力発電の原料にもなると言われ、私は衝撃を受けました。核兵器や原子力発電は、原料であるウランの採掘の段階で放射線被害を生むのです。核産業に依存し、核の傘に頼るシステムの中で生きるということは、知らず知らずのうちに核の加害者になるということなのだと気づいたことを、私は発表しました。

フィジー、マーシャル諸島、インド、オーストラリア…1週間のあいだに、さまざまな地域を拠点に活動する同世代の活動家たちと出会うことができました。オンライン会議なども利用して、これからも互いに学び続けようと話しています。核の被害は広島・長崎だけに起こったことではなく、世界中に被爆地があること。日本の多くの仲間たちと、実感を込めて共有していきたいと思います。

 

2つ目の学びは、多様なアクションのあり方に触れられたことです。例えばVR(仮想現実)を使って2018年にハワイで起こった弾道ミサイル飛来の誤報事件を追体験するブースや、国際会議に訪れる人を防護服を来て迎えるというオーストリア赤十字社のデモンストレーションなど、日本で活動しているだけでは思い付かないような様々なアクションの形に触れることができました。

 

その中でも興味深かったのは、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)主催のバイクツアーです。医学生たちを中心に世界各国から集まった30人ほどの参加者が、自転車に乗ってウィーンの街中を駆けながら、核廃絶を訴えました。「ヘイヘイ、ホウホウ、核兵器とはさよならだ!」というように、みんなでリズムに乗った掛け声をかけ、振り返る街の人たちに手を振って、これから始まる締約国会議への盛り上がりを伝えました。楽しさと熱気に溢れた、刺激的な時間でした。

 

私たち日本の若者も、いくつかのアクションを試みました。まずは、浴衣を着てバナーを持って観光地を練り歩くというもの。出会った人には、バナーにメッセージを書き込んでもらいます。荘厳なシュテファン大聖堂の前で出会った地元の中学生くらいの女の子は、照れながらドイツ語で「隣人を愛する」と書き込んでくれました。

ビブスアクションをする宮田さん(22.6.18)

また、長崎の被爆者の宮田隆さんが「私は被爆者です。なんでも質問してください」というビブスを着て会議場や街中で対話するアクションのサポートも行いました。イギリス出身の青年が自分のしている活動を紹介し、宮田さんに激励される場面や、ウクライナから避難してきたという男性が、「ここにいても安全だとは感じない。同じことが起こらないことを願っています」と宮田さんに伝える場面もありました。

 

核兵器をなくすためにできることを考える時、より多くの人を巻き込むためのクリエイティブなアイデアを発明し続けることが大切だと思います。日本に帰ってからも今回受けた刺激を忘れず、伝え方や行動の仕方を模索し続けたいと思います。

 

3つ目は、「条約を自分たちが育てていく」という感覚を持ったことです。締約国会議の最中、ICANのネットワークでつながる他国の若者たちと一緒に、政府関係者に話をしていくアドボカシー(ロビー活動)を行いました。特に条約の6条・7条に定められる核被害者援助と国際協力についての内容の議論が少しでも進むようにと、手分けをして各国代表に働きかけました。

 

政府の代表団に話しかけるなんて、ものすごく緊張しました。仲間たちと話しかけ方を相談し、難しい政治の話をするのではなく、自分がどんな思いで活動しているかをまっすぐに伝えてみようと確認しました。休憩時間を見計らって、いざ代表団のテーブルへ。勇気を振り絞って私が話しかけたパラオやパナマの代表団の人たちはとてもフレンドリーで、「活動してくれてありがとう」「一緒に進めていこう」と伝えてくれました。日本で政府や議員に対して働きかける時とは全く違う相手の反応に、大きな衝撃を受けました。

 

日本政府がこの条約に積極的に関わろうとしないことを、非常に残念に思っています。政府が積極的であればこそ、これまで発信を続けてきた被爆者をはじめとする人々の声が具体的に条約に反映され、世界各地の核被害者への支援体制や、条約の意義が強化されるのではないでしょうか。来年開催される次回の締約国会議にはまずオブザーバーとして参加してほしい。そして条約批准に向けて動きつつ、核被害者への支援など日本の経験を活かせる分野にしっかりと貢献してほしいと強く希望しています。

 

一方で、核廃絶への大きなうねりを目の当たりにし、政府の姿勢に関わらず自分たちにできることはスピードを落とさずに進めていこうと思いました。今回の会議の場に集まった国々は、「ロシアのウクライナ侵攻など緊張状態のある今こそ、この条約を前に進めていく必要があるんだ」という機運で繋がっていて、NGOや市民団体も仲間だという一体感がありました。現地での活動のみならず、日本で行っている様々な団体の地道な活動も積み重なってこの場があると思うと、胸が熱くなります。ウィーンでの経験を通して、私たちがこの手で条約を育て、前に進めていくんだという実感を得ました。

核兵器禁止条約締結国会議の様子(22.6.21)

会議の最終日にスタンディングオベーションで成果文書を採択した時の、オーストリアのクメント議長の「さあ、道はできた。あとはやるだけだ」という言葉が印象的です。決まったことや出した宣言はとても大切なものですが、あくまで「道筋」にすぎません。集まった締約国や市民が、各国で待つ仲間たちと一緒に行動に移すことで、今回の会議が本当の意味で成功になるのだと思います。小さな行動や、勇気を出してあげた声は、確実に変化につながっていく。高揚と同時に、身の引き締まる思いがしました。

 

「この世から核兵器をなくすことはできると思いますか?」

これまでこの問いに対する自分の答えに自信が持てなかった私は、今回の経験を通して、「なくせると思います。私たち一人ひとりの手で」と答えられるようになりました。

 

学びを糧に、気を引き締めて、楽しむ気持ちを忘れずに、これからも国内外の仲間と共に活動を続けていこうと思います。

瀬戸麻由(せとまゆ)

核政策を知りたい広島若者有権者の会(カクワカ広島)メンバー。シンガーソングライター。1991年生まれ。広島県呉市出身・在住。旅と地元をこよなく愛する。大学時代にピースボートで地球を3周。2013年の3度目の乗船時には外務省から委嘱を受けた「ユース非核特使」として「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」に参加。被爆者とともに地球を旅した経験を歌にした初のシングル「Colorful World」を2017年夏にiTunes配信開始。現在は広島を拠点に、「Social Book Cafeハチドリ舎」で広島と人と世界をつなぐ場作りに挑戦中。