2月28日から3月1日にかけて3・1ビキニデー集会が開催され、全厚労独自企画「ピース学習会」と合わせ36名が参加しました。米軍が太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験による被災71年となる集会は、焼津市民センターにて開催されました。
被爆の実相を広げ、核兵器のない世界の実現を
今年の全厚労「ピース学習会」では日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞を記念してドキュメンタリーVTR、「屍を超えてオスロの灯」(テレ朝)「喜びだけでは終わらせない」(NHK・クロ現)を視聴しました。学習会と大会の感想を3名の参加者にお聞きしました。
学習の継続必要
三厚労 池滝和史
ビキニ環礁で使用された水爆は広島型原爆のおよそ1千発分であると説明がありました。どれだけ多くの放射能が世界に広がったか考えるだけで恐ろしいです。広島と長崎に原爆が投下されてから80年。あの原爆投下でその年だけで21万人が死亡しています。唯一の被爆国である日本ですが、被爆者の高齢化も進んでいます。抑止力の核保持ではなく、核兵器が人類と共存出来ないという被爆国でなければ出来ない運動や学習を今後も持続していきたいと思います。
若い世代に伝えたい
福厚労 遠藤剛司
3・1ビキニデー集会に初めて参加することができました。私自身、2011年の原
発事故の時に福島県の双葉郡地域に住んでいたこともあり、「核」に関することは切っても
切り離せない問題です。放射能の影響で家に帰れない日が続いたり、福島県の車のナン
バーというだけで後ろ指をさされたり、近年では原発の再稼働の話が出たりと嫌でも向
き合ってきました。
今回のビキニデーでは、恥ずかしながら昨年、日本被団協がノーベル平和賞を受賞したことを初めて知ることができました。被災された方々の長年の想いや努力に加えて、核兵器の恐ろしさを後世に語り続けていかなければならないと立ち上がった高校生、それぞれの想いが実っての受賞だったことを知ることができました。2日目の墓参行進では、警察も出動する中での行進となりました。想像していたよりも何倍もの規模での行進となり衝撃を受けました。焼津駅からの道中では、街中や海辺を通り、当時ここに暮らしていた方々はどれだけの恐怖を感じたのだろうと想像しながら行進することができました。
ビキニデー全体集会では、地元の高校生やその大先輩の方々が一緒になって合唱を行ったり、集会の運営を行ったり、未来に繋いでいく姿を目の当たりにしました。その一方で、こんなにも大規模な平和集会が開かれているのにも関わらず、唯一の被災国である日本が核兵器禁止条約に批准していない現状に大きな闇を感じました。これまでは平和活動に対して消極的でした。しかし、2日間を通してこれまで以上に平和活動に参加したいと思えるようになりました。「草の根」の活動が大切だとみんなが言っているように若い世代への周知は、若い世代がやっていかなければならないのだと実感しました。
これからは自分にできることを実践し、原爆のことや原発事故のことを後世に伝え続けていきたいと思いました。
日本も条約に参加を
福厚労 丸山将季
日本被団協が昨年、ノーベル平和賞を受賞し、核兵器の全面禁止と廃絶の想いが今ま
で以上に高まる中での参加となりました。原爆被災者の貴重な話が途絶えてはいけないと、我々青年世代も尽力している姿を見て、とても刺激を受けました。ロシア、ウクライナ問題や北朝鮮の脅しなど、核兵器の使用をチラつかせる国があるという現実は非常に恐ろしい事だと感じ、それと同時に、核兵器禁止条約に背を向ける日本政府があることがとても落胆する思いになりました。80年以上粘り強く平和を祈る運動を続けてきた日本被団協を、私は活動に参加したり、周囲へ伝える事で応援し続けたいと思います。
編集後記
ノーベル委員会は、日本被団協への授賞理由の中で、原爆投下を受けて世界の人々の中に運動が起こり、核兵器を使ってはならないという規範ができ、「核のタブー」になったと述べています。私たちに出来ることは核の悲惨さを語り継ぎ、世界中から核兵器を放棄するその日まで活動しつづけることなのではないでしょうか。