ナースウェーブのスタートから36年 国民の声を 国会に届け 前進の力に
5月12日のナイチンゲール生誕の日を中心に「看護週間」が設定され、全国各地でナースウェーブ(看護の日行動)が行われています。最近はメディカルウェーブとも称しています。ナースウェーブは1989年に日本医労連が提起して取り組んで一大ムーブメントとなり、看護師確保法・基本指針制定や「看護の日」創設に大きな役割を果たした運動で35年以上続いています。

長野では、5月10日、県看護集会が開催され、全体で140名、長厚労から63名が参加しました。午前中に県医労連伝田書記長の基調報告の後、記念講演では、「NPO法人訪問看護ステーションコスモス」所長の平野智子さんから、「十人十色のいのち〜支え、支えられる、を超えた山谷地域での訪問看護〜」と題して東京都台東区の山谷地域(日本医療労働会館からも近いところ)で取り組む「患者・利用者に寄り添う看護」の事例を聞かせていただきました。午後からは長野駅前へデモ行進し、3ヶ所で署名宣伝行動を行い、署名をしてくれた方にはカーネーションを渡し、630筆を集約しました。

福島では県内5ヵ所で行われましたが、福厚労はそのうちの1つに結集。JA会津マーケット「まんま〜じゃ」にて署名宣伝に取り組み、福厚労7名を含む20名が参加しました。約2時間の行動で、200筆を超える署名を集めました。観光客の方も多かったのと高齢者の方々は、「(増員は)もっともだ。もっと増やして欲しい」と力を込めて話をされました。
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広島では県庁前の行動に広厚労署名担当大臣の梅岡さんを含む4名、計38名が結集。雲が多く、穏やかな日差しの中、38筆の署名を集めました。

秋田では、メディカルウェーブに秋厚労10名+子ども2名を含む25名が参加し、増員署名に取り組み。秋田駅前は賑やかで1時間で174筆集まりました。

茨城では、5月11日午後、水戸駅南口デッキで署名宣伝。茨厚労6名を含む11名が参加し、1時間の行動で増員署名31筆を集めました。署名時の対話では、「自分の子供が水戸で医師をしていて、先ほど会ってきた。現場が大変なのは知っています」(女性)、「自分はブラック企業について発信しているブロガー。医療の職場もブラックなところが多いと聞いているので、頑張って下さい」(男性)などの激励をもらいました。
各地でメーデー・アピール 戦後・被爆80年を節目に、世界の平和と人々の生活を守る年へ
5月1日は、世界の労働者の団結と連帯を記念する「労働者の祭典」メーデーの日です。
日本では、第96回メーデーが全国274ヵ所で開催され、約10万人が結集しました。東京・代々木公園の中央メーデーには、1.4万人が参加し、「最賃いますぐ全国一律1500円に」「ケア労働者の大幅賃上げ・大幅増員」などを訴え、2コースでデモ行進しました。
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全国各地でも労働者のアピールが展開され、秋田では書記局が参加して、市内をデモ行進。福島では、3ヵ所のメーデー集会に福厚労から21名が参加して、署名宣伝行動等も行いました。
今年は戦後・被爆80周年、男女雇用機会均等法40年、阪神淡路大震災・サリン事件30周年など節目の年で、世界での侵略・紛争の終結や、ジェンダー平等の実現、震災復興や差別・分断の克服など、様々な課題での人権的解決が求められる年となりそうです。

メーデーの歴史
毎年5月1日に、世界の労働者がその時々の要求を掲げてデモンストレーションを行い、国際連帯の意思を示す統一行動日。1886年5月1日に始まったアメリカのシカゴで8時間労働制を求めた34万人ものストライキが、警察の弾圧により、ストの首謀者とされた4人の労働者の絞首台での死刑という結果を受けて、当時の国際労働者組織である第一次社会主義インターナショナルが、このたたかいを記念して、全世界に5月1日を「メーデーの日」としてデモに立ち上がろうと呼びかけたのが起源。1890年以降、全世界で取り組まれるようになった。日本では1920年に第1回メーデーを開催したが、戦争により36年以降中断し、戦後の46年に復活した。日本では第96回メーデーの年となる。いまでも世界中で、「労働者の祭典」として数多くの労働者が連帯している。