核廃絶へ国際的・歴史的追い風 被災63年3.1ビキニデー全国集会開催 一人ひとりができるところから平和運動を

 17年2月28日~3月1日で3・1ビキニデー集会が開催され、全厚労からは8県17名が参加しました。今年のビキニデーは、核兵器禁止条約が国際政治の大きな焦点となり、今年の3月から国連で禁止条約の招請がされる画期的な動きの中で迎えました。28日の原水協全国集会には800人、1日の墓参行進には1400人、3・1ビキニデー集会には1700人が全国から参加しました。
 基調報告で日本原水協事務局長の安井正和氏は、「核兵器廃止条約が国際政治の大きな焦点になり、条約交渉が開始されるという画期的な情勢の中で迎えられた。今年の全国集会は、ビキニデーの歴史の中でも特別に重要な意義を持っている。」とし、これまで、人類史上もっとも残虐で破壊的である核兵器を禁止する、実効的・国際的な条約はなかったことを述べ、条約交渉が始まることで「国際的な法の力」によって禁止し廃絶する道が開かれていくことになることを強調されました。そのためには草の根から世論と行動を大きく巻き起こすこと、ヒバクシャ国際署名の国民的な共同・運動に全力をあげることを提起されました。

大衆的で国際的な活動へ
 海外代表スピーチでは、はじめにアメリカフレンズ奉仕委員会のジョセフ・ガーソン氏からアメリカの情勢について報告されました。その中で、アメリカの政治闘争は3つの対立する勢力がある事を紹介しました。1つめは、正当性のないネオファシストのトランプ政権、2つめは、ロシアによるクリントンと民主党のコンピューター侵入を確認した国家安全保障機関、3つめは、全米400の市町村で行われた数百万人の女性行進を行った人々の民主的な勢力です。トランプ政権は核兵器の知識が無く、核兵器を兵力として増強していく事を発言するなど、戦争・核兵器の脅威が世界に迫っていますが、このような危機的状況の中でもチャンスはあり、反トランプの声が市民から上がりはじめ、メディアにも起ころうとしている事を報告されました。
 また、「今は時間との闘いです。核の脅威が世界に広まる今、ヒバクシャとの証言と、人類と核兵器は共存できないとの警告に、そして生きている内に核兵器廃絶をとの、燃えるような願いに応えて立ち上がらなければならない」と強く訴えました。政府の力だけでは核兵器をなくせないことから、幅広く意識的な草の根の圧力をかけ続けることが必要とし、ヒバクシャ国際署名キャンペーンで核兵器完全廃絶の意思を示すことが重要としました。
 アメリカでのこれからの闘いの要点について、1つ目に、民主主義、人権、公民権を守る運動を作ること、2つ目に、核戦争、その他の戦争の勃発を阻止すること、3つ目に核兵器廃絶条約の開始を勝ち取るのに必要な政治的力を付けることを紹介し、大衆的で国際的な活動は威力を発揮しつつある事を報告されました。
最後に「友人の皆さん、独裁を倒し、戦争を終わらせ、人道に反する犯罪を認めさせた運動を通じて、活力ある強力な民主的な文化が生まれ、平和への深いコミットメントを与えてきたことを歴史が証明しています。これこそが私たちの希望であり目標です」と話すと、会場から盛大な拍手が起こりました。

運動で地球を守ってきた
 次に同じビキニの原水爆実験で被爆したマーシャル諸島のロンゲラップ島民代表のアバッカ・アンジャイン・マディソン氏から報告がありました。
 マーシャルのビキニデーでは今年核サミットが開かれることや、マーシャル諸島の政府が国民や若い世代に核の被害に対する意識を高めようとしている事、当事者のアメリカが保障の義務を果たしていないことから、引き続きこの義務を負っているということに国民の意識を高めようとしていることが報告されました。そして「長く険しい道を経て、目標に近づいてきている、1955に初めて開かれたビキニデー集会から今までの運動がすでに地球を守ってきた事を確信にして、この目標のために力を尽くさねばなりません」と訴えられました。

全国集会の分科会に参加
 全厚労は昨年まで全厚労独自の学習会を開催していましたが、今年はビキニデー全国集会の分科会に参加しました。6つの分科会がありましたが、全厚労としては久しぶりの参加でしたので、第6分科会(入門編)へ多くの参加者が参加しました。
 第6分科会では、まず、「そのとき歴史が動いた~母達の反核運動」を視聴しました。動画では、アメリカによるビキニ水爆実験で広島原爆の1000発分に相当する15メガトンの威力で行われたこと、爆発で飛び散ったサンゴ礁の粉末を主体とした「死の灰」はロンゲラップ島民、そして、第五福竜丸にも降り注ぎ被ばくさせたこと、汚染は日本の食卓に欠かせない魚にまでおよんだ事、汚染されたマグロ(被爆マグロ)を食べたら被爆と同等の被害といった噂が広がったため、魚が食卓から消えました。この出来事をきっかけに、各地で署名が広まった事や、その署名は自然発生的にはじまったため書式がバラバラだったこと、広島・長崎の原爆投下後、アメリカの統治下に置かれていたため、無力感を感じ行動を起こせずにいた男性に変わり、女性が反核運動として署名運動を率先したことを学習しました。
 
いつ使用されてもおかしくない
 次に、原水禁日本協議会代表理事の高草木博さんから、これまでのビキニデー原水禁大会の歴史や成果についてミニ講演がありました。その中で「核兵器は脅かすだけで使わない兵器だとよく言うけど、実際核兵器を持っている国で使わないと行った国はない。国連に出す文書でもこういうときに使うという事がしっかり書かれている」と、地球上に15000発以上存在する核兵器が戦略的と言われながら、いつ使用されてもおかしくない現状を報告されました。
また、「ビキニの水爆実験は人間の、“相手を滅ぼしても戦争に勝ちたい”という大変大きな欲望が産んだもの、しかしそれがもたらした犠牲はとてつもなく多く、第五福竜丸や、その他多くの漁船、ロンゲラップ諸島をはじめとする島や自然、海、魚の汚染等々。核兵器を無くすためには世界中の人が立ち上がらなければなくならない」と、禁止条約の創設・締結は世界的な課題であり、核兵器廃絶に向けて世界で一丸となり立ち向かう勇気が必要である事を訴えました。

長年の運動が大きな力に-継続は力なり

 最後に、ビキニデー原水爆禁止運動の成果として、1、3200万(当時の日本の有権者の数を超える)の署名を達成した。2、ベトナム戦争の最後、フランス軍がアメリカに原爆使用を進められたが思いとどまった。3、日本国民が行動すれば変えられると思った人が多くいた。4、米ソの水爆実験競争という世界情勢に対して提示された核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えた宣言文であるラッセル・アインシュタイン宣言は原水禁運動の努力の集積であること、が紹介されました。
 その他にも、平和活動を行う3人の学生がパネラーとなって討論を行ったり、ペアワークといって、会場でとなりの席の人と2人での討論や、質疑応答など、学習を深める事ができました。

核兵器廃絶を願い墓参行進
 3月1日は、「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい」と後生に伝えた第五福竜丸の無線長、久保山愛吉さんの墓参行進に1400人が参加し、墓前に故人の愛した赤いバラを献花しました。この日の焼津は天気が良く、とても気持ちのよい行進となりました。
 その後行われた3・1ビキニデー集会には1700人が参加。同じビキニでの原水爆実験で被爆したマーシャル諸島・エニウェトク環礁での運動の報告や、第五福竜丸元乗組員の大石又七氏の紹介など、大変貴重なお話を聞く機会となりました。また、リレートークでは全国からの参加者や、市民団体等から平和への取り組みや、平和行進、世界大会に向けての報告がされました。
 集会を通して、世界が一丸となり声を上げる事の大切さや、国際的な世論を作り上げる事が重要だと学び、そのためには一人ひとりが学習し、できるところから少しでも行動していく事が大切だと感じるきっかけとなりました。