全国の厚生連に働くケア労働者619人の声:
現場の実態と持続可能な未来への提言
2025年12月15日、全国厚生連労働組合連合会
はじめに
本レポートは、2025年12月12日までに集約された全国のケア労働者619人から寄せられたメッセージを分析し、日本の医療・介護の現場が直面する深刻な実態を浮き彫りにすることを目的としています。ここに集められた声は、単なる意見や感想の集合体ではありません。それは、低賃金と人手不足が相互に作用し、現場を崩壊へと導く「負の連鎖」の只中で、心身の限界に達しながらも職務を全うしようとする人々の悲痛な叫びです。本レポートを通じて、日本の社会基盤を根底から支えるケア労働の現場で何が起きているのかを明らかにし、持続可能な制度への道筋を探るための建設的な議論の一助となることを目指します。
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第1章:ケア労働の現場から聞こえる悲鳴 – 概括的実態
寄せられた619通のメッセージを分析すると、職種や地域、年代を超えて共通する危機的状況が浮かび上がります。本章では、現場を蝕む中心的な力学である「負の連鎖」を駆動する二つの大きな要因、「深刻化する経済的困窮」と「労働環境の崩壊」に焦点を当て、ケア労働の現場が直面する全体像を明らかにします。
1-1. 深刻化する経済的困窮と生活不安
ケア労働者が直面する最も切実な問題は、経済的な困窮です。多くの声が、止まらない物価高騰と停滞する賃金のギャップによって、生活が成り立たなくなっている窮状を訴えています。
「物価が上がっているのに給料はまったく上がっていません。どんなに頑張っても1年で上がる給料はたったの1000円。現在はフルで働いて15万円台。手取りはさらに下の金額です。もう生活していけません。」(事務 40代 病院 山口)
食費、光熱費、ガソリン代といった生活必需品の価格上昇は、家計を直接圧迫しています。「物価があがりお米が買えません」「米が好き 物価高騰で安い食パンに」といった声は、生活の基盤が揺らいでいる現実を物語っています。
さらに、他産業における賃上げのニュースは、医療・介護業界に取り残されているという感覚を増幅させています。「大手企業が賃上げしている中で、今後もこのままですと継続して働く意欲がおきません」という看護師の声に代表されるように、社会全体が賃上げに動く中で、自分たちの労働が正当に評価されていないという不満が渦巻いています。これは単なる貧困ではなく、社会から取り残されているという「相対的剥奪感」であり、専門職としての尊厳を蝕む深刻な心理的影響を伴っています。
その困窮度は極めて深刻で、「餓死寸前 ベースアップで米食べたい」「もう嫌だ もやし生活 抜けだしたい」といった悲痛な表現も散見されます。この経済的な不安は、日々の生活を切り詰めるだけでなく、将来への希望をも奪い、ケア労働者が誇りを持って働き続けることを困難にしています。この経済的基盤の脆弱性が、労働者を過酷な現場に縛り付け、離職という選択肢を奪う一方で、次章で述べる人手不足を加速させる第一の駆動力となっているのです。
1-2. 慢性的な人手不足と労働環境の崩壊
経済的困窮と並行して、現場を崩壊寸前に追い込んでいるのが慢性的な人手不足です。人員が足りないことにより、残された労働者一人ひとりへの負担が極限まで高まっています。
「日頃から過酷なため離職が増え続けて、深刻な人手不足により一人一人が多忙を極めている。」(看護師 20代 病院 静岡)
「残業が多い」「休憩時間が取れない」「休日が取れない」といった訴えは職種を問わず共通しており、「心も身体も疲弊しています」という声が現場の消耗度合いを物語っています。中には、「夜勤はスタッフが少ないため 患者50人に対してスタッフ3人」という、安全性を根本から揺るがすような人員配置の実態も報告されています。
このような過酷な環境は、本来提供すべきケアの質をも低下させています。「患者の声をゆっくり聞く時間がなく業務に追われる日々」「1日乗り越えるのに精一杯で看護まで手が回らない」といった声は、労働者が専門職としての役割を果たしたくても果たせないジレンマに苦しんでいることを示しています。「ちゃんと看護をさせて下さい」という切実な願いは、労働環境の崩壊が、労働者だけでなく患者・利用者の不利益にも直結している事実を浮き彫りにしています。これは、制度の不備が専門職からその専門性を発揮する機会を奪い、倫理的な苦痛(モラル・ディストレス)を生み出している証左です。この労働環境の崩壊は、強力な「離職推進要因」となり、崩壊の原因そのものである人手不足をさらに悪化させ、負の連鎖を直接的に加速させています。
1-3. 「負の連鎖」:離職の加速と未来の担い手不足
低賃金と過酷な労働環境は、必然的に離職を招きます。そして、離職がさらなる人手不足を生み、残された職員の負担を増大させ、労働環境をさらに悪化させるという「負の連鎖」が常態化しています。
「低賃金で人員不足、超過勤務の悪循環を止めるには処遇改善しかありません。」(看護師 50代 病院 新潟)
「なのに賃金は上がらず、さらに離職が増える事の負の連鎖になっている。」(看護師 20代 病院 静岡)
労働者自身がこの構造的な問題を明確に認識していることは、注目に値します。特に、「今の診療報酬では、給与は上がらず特に若い人が辞めてしまいます」という指摘のように、将来を担うべき若手職員がこの業界に見切りをつけている現実は深刻です。若者の離職は、単なる人員の減少に留まらず、技術や経験の継承を断絶させ、日本の医療・介護の未来そのものを危うくします。この絶望的な悪循環は、現場のモチベーションを著しく低下させ、事態をさらに深刻なものにしています。
1-4. 蝕まれる使命感とモチベーション
ケア労働は、高い専門性と倫理観、そして強い使命感に支えられています。しかし、経済的・物理的な困難が長期化する中で、その使命感さえも蝕まれつつあります。
「やりがいだけでは仕事は続けられない。」(看護師 30代 病院 広島)
「頑張っても報われない。」(不明 50代 病院 静岡)
これらの言葉は、使命感ややりがいといった精神論だけでは、もはや限界に達していることを示唆しています。「命を預かる仕事」という重い責任を担いながら、その労働が正当な対価として報われないという現実。このギャップが、労働者の意欲を根こそぎ奪っているのです。
「命を預かっているのにも関わらず給料が低い。このまま続けるのは難しく生活を保つためにも転職を考えている。」(看護師 20代 病院 新潟)
現場の危機は、もはや個人の努力や忍耐で乗り越えられるレベルではありません。それは、日本の社会保障制度全体の持続可能性を揺るがす構造的な問題です。次の章では、この全体像を踏まえ、職種ごとの特有な課題をさらに深掘りしていきます。
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第2章:職種別にみる課題と特徴
ケア労働の現場は、多様な専門職の連携によって成り立っています。第1章で概観した「負の連鎖」は全職種に共通する構造的な課題ですが、その専門性や役割によって問題の現れ方やその帰結は異なります。本章では、この制度的危機が各専門職にどのような特有の困難をもたらしているのかを、職種別の視点から詳細に分析します。
2-1. 医師:責任の重さと報酬の不均衡
医師からのメッセージは、その職責の重さと報酬との不均衡に対する強い問題意識を示しています。ある医師は、格調高い手紙形式で次のように訴えます。
「私どもは、医師として、日夜、高度な知識と技術、そして何よりも患者様の命に対する重い責任を背負い、全力を尽くしております。…しかしながら、現状の報酬水準は、私どもの負うべき責任の重大さ、労働時間の過酷さ、そして専門性に見合ったものとは言いがたい状況にあります。」(医師 30代 病院 三重)
彼らが指摘するのは、単なる個人的な待遇の問題ではありません。報酬の不均衡が「優秀な人材の確保と定着」を妨げ、特に若手医師が地域医療から離れる要因となり、「将来的な医療提供体制の維持に深刻な影響を及ぼす」という、日本の医療の未来を見据えた大局的な懸念です。
2-2. 看護職員(看護師・准看護師):医療崩壊の最前線
今回、最も多くの声(全体の半数以上)を寄せたのが看護職員です。彼らのメッセージは、医療システムの最前線が複合的な危機に直面していることを克明に物語っています。
• 過重労働: 「夜勤回数は増え、残業は増える一方」「業務が忙しくて時間外が多く発生しています」
• ケアの質の低下: 「人員不足で患者に十分なケアができず、お互いに苦痛となっている」「患者のニーズに合わせた看護が提供できると思う」
• 経済的困窮: 「物価高騰に賃金が追いついてない」「頼りにしていたボーナスすら減らされた」
• 心身の疲弊: 「心も身体も疲弊しています」「しんどすぎる仕事のわりに給料がものすごく安くて物価もあがり生活もしんどく心も身体もしんどい日々です」
これらの声は、看護現場が限界を超えていることを示しており、「医療崩壊は、目前にせまっています」「このままでは、残された看護師も辞めてしまいます。病院がなくなってしまいます」といった強い警鐘が鳴らされています。また、准看護師からは「看護師との昇給の格差あり。仕事内容は同レベル。モチベーションが上がらずいつ辞めようかと毎日思ってます」という声もあり、看護職員内部における処遇の格差も深刻な問題であることが窺えます。
2-3. コメディカル(薬剤師、技師等):専門性と待遇の乖離
診療放射線技師、臨床検査技師、臨床工学技士、薬剤師といったコメディカルスタッフは、高度な専門性を持ちながら、その価値が待遇に反映されていないというジレンマを抱えています。ある診療放射線技師の言葉は、その構造的な矛盾を「やりがい搾取」という一言で喝破します。
「高度化する医療に対応するために、コメディカルも休日に少ない収入の中から勉強会や講習会に参加している。…その知識を持って帰っても賃金は上がらない。やりがい搾取はいい加減にして欲しい。」(診療放射線技師 30代 病院 新潟)
この「やりがい搾取」という言葉は、専門職としての矜持と現実の待遇との深刻な乖離を象徴しています。これは、個人の自己投資(自費での研修参加)が制度的なリターン(賃金上昇)に全く結びつかないという不公正な構造を意味します。結果として、職員が自らの生活費を削って、所属する医療機関、ひいては医療システム全体の質の維持を支えているのです。これは専門職としての相互尊重の原則を根本から揺るがすものです。さらに、「医療機器の更新も出来ず、未だに紙カルテを使い、DXとは程遠い環境で働いています」という声もあり、問題が個人の賃金に留まらず、質の高い医療を提供する上で不可欠な労働環境全体の劣化にまで及んでいることがわかります。
2-4. リハビリテーション専門職:心身を酷使する現場
理学療法士、作業療法士、言語聴覚士など、患者の機能回復を支えるリハビリテーション専門職もまた、厳しい現実に直面しています。彼らの仕事は「心身ともに体力の必要な仕事」であり、患者と密接に関わる身体的・精神的な負担が大きいにもかかわらず、その労働は物価高に見合う給与水準に達していません。結果として、「職場を離れるリハビリ職が異業種へ転職する話を周りでも聞いています」という声が示すように、専門性を活かせない異業種への人材流出も起きており、悪循環が続いています。
2-5. 介護職員(介護福祉士、看護助手等):ケアの基盤を揺るがす低処遇
高齢者ケアの最前線を担う介護職員や看護助手からの声は、ケアの基盤そのものが崩壊の危機にあることを示しています。
「すでに利用者さんの日常生活に影響が出ています。最低限のケアすら満足にできません。限界です。」(介護職 40代 介護施設 新潟)
「職員不足が常態化しトイレや水分補給すら 困難な状況です。」(介護職 60歳以上 病院 静岡)
これらの声は、人手不足が単なる業務の遅延ではなく、利用者と介護者双方の生命と尊厳を脅かすレベルに達していることを示唆しています。「給料が安すぎる」「重労働だったりする事もあるので、それに似合った賃金改正してもらいたい」といった直接的な訴えは、社会に不可欠な労働が極めて低い処遇に置かれているという、構造的な矛盾を鋭く突いています。
2-6. その他専門職・事務職員:縁の下の力持ちたちの窮状
医療現場は、これまで見てきた職種以外にも、医療ソーシャルワーカー、管理栄養士、医療事務など、多様な専門職によって支えられています。彼ら「縁の下の力持ち」もまた、共通の課題を抱えています。
特に医療事務職員からは、「フルで働いて15万円台。手取りはさらに下の金額です」「看護師が少ないという理由で仕事が回ってきます」といった、低賃金と専門外の業務負担という二重の苦しみが訴えられています。また、管理栄養士からは「業務量が増加しているが配置がたりない」、社会福祉士からは「企業の初任給が毎年ひきあげられる中、非常に不満」といった声が上がっており、それぞれの専門領域で人員配置や賃金の問題が深刻化していることが明らかです。
これほど多様な職種から同じような悲鳴が上がっている事実は、この問題が一部の職種に限定されたものではなく、医療・介護システム全体に根差した普遍的な課題であることを証明しています。
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第3章:課題の構造と改善への提言
これまでの分析で明らかになった現場の危機は、個々の病院や施設の経営努力だけで解決できる問題ではありません。労働者たちの声は、その根本原因が国の政策、すなわち公定価格である「診療報酬・介護報酬制度」そのものにあることを明確に指摘しています。本章では、この問題の構造を解き明かし、現場が求める具体的な改善策を提言としてまとめます。
3-1. 問題の根源:診療報酬・介護報酬制度
多くの労働者が、自分たちの低賃金や劣悪な労働環境の直接的な原因として、診療報酬・介護報酬の低さを挙げています。彼らは、この制度が病院経営を圧迫し、結果として人件費を抑制せざるを得ない構造を生み出していることを見抜いています。
「診療報酬を改善してもらわないと病院の赤字は増えるばかりで我々労働者には何にもいい事がありません。」(看護師 40代 病院 福島)
この声は、問題の核心を的確に捉えています。医療機関の収入の大部分は公定価格である診療報酬によって決まるため、物価や人件費が上昇しても、それを価格に転嫁することができません。その結果、多くの病院が赤字経営に苦しんでいます。
「普通に診療をしている一般病院が赤字になるという医療のシステムに問題はないのでしょうか?」(看護師 50代 病院 山口)
この問いは、制度そのものの持続可能性に対する根本的な疑問を投げかけています。労働者たちは、自分たちの処遇を改善するためには、個別の賃金交渉だけでなく、収入の源泉である診療報酬・介護報酬制度の抜本的な見直しが不可欠であると理解しているのです。
3-2. 現場からの提言:持続可能な医療・介護制度の構築に向けて
現場からの声は、単なる不満の表明に留まらず、持続可能な制度を構築するための具体的な提言を含んでいます。それらの要求を整理すると、以下の3点に集約されます。
• 診療報酬・介護報酬の大幅な引き上げ これが最も多く、かつ最も根本的な要求です。物価高騰や他産業の賃上げに見合うだけの原資を確保するためには、報酬全体のパイを大きくすることが不可欠であると訴えられています。中には「10%以上の報酬引き上げ」といった具体的な数値を挙げる声もあり、小手先の改定ではなく、抜本的な引き上げが求められています。
• 人員配置基準の見直しと増員 安全なケアを提供し、労働者の心身の健康を守るためには、現行の人員配置基準では絶対的に不十分であるという認識が共有されています。特に認知症患者の増加など、ケアの複雑化・重度化が進む中で、基準そのものを見直し、実態に即した人員増を実現することが、医療事故を防ぎ、質の高いケアを保証するために不可欠です。
• 労働に見合った正当な賃金の実現 ベースアップ(基本給の引き上げ)、賞与の確実な支給、夜勤手当や専門業務に対する各種手当の創設・増額など、労働の責任と負担に見合った正当な対価としての賃金の実現を求める声が強く上がっています。これは、労働者の生活を守るだけでなく、専門職としてのモチベーションを維持し、人材の確保・定着に繋がる重要な要素です。
これらの提言は、単なる労働者の待遇改善要求ではありません。それは、日本の医療・介護という社会インフラを崩壊から守り、国民が将来にわたって安心して質の高いケアを受けられるようにするための、必要不可欠な社会的投資への呼びかけなのです。
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おわりに
本レポートは、全国のケア労働者619人の声を通じて、日本の医療・介護現場が直面する過酷な実態を明らかにしてきました。低賃金と物価高による生活の困窮、慢性的な人手不足がもたらす労働環境の崩壊、そしてそれに伴うケアの質の低下と使命感の摩耗。これらは、もはや看過できないレベルに達しており、日本の社会保障制度が瀬戸際にあることを示す警鐘に他なりません。
ある薬剤師の言葉が、全てのケア労働者の思いを代弁しています。
私達は職員であって、労働者であって、ボランティアではありません。諸々の要求は働き続ける最低限なのです。
彼らの労働は、決して無償の奉仕ではありません。社会に不可欠な価値を提供する専門職としての労働であり、それに対する正当な評価と対価が支払われるべきです。そのためには、診療報酬・介護報酬制度の抜本的な改革が急務です。
619人の声は、私たち一人ひとりに問いかけています。このまま現場の疲弊に目を背け、社会の基盤が崩れ去るのを座して待つのか。それとも、この声に真摯に耳を傾け、持続可能な未来のために具体的な行動を起こすのか。今こそ、社会全体がこの問題に正面から向き合い、ケア労働者が誇りと希望を持って働き続けられる環境を再構築する時です。