全厚労は2月28日から3月1日にかけて日本原水協全国集会と被災72年2026年3・1ビキニデー集会に結集し、加盟組織から10県31名が参加しました。
28日の全体集会は「核兵器のない平和な世界への転換、憲法生かした非核平和の日本へ」のスローガンで開催され、会場とオンラインで900名以上が参加しました。

主催者挨拶で米山淳子代表理事は、「世界の運動と連動して、さらなる核廃絶のうねりを作ろう」と呼びかけました。「被爆者の訴え」では、日本原水爆被害者団体協議会事務局次長の児玉三智子氏が自身の被爆体験を語り、その上で「憲法9条は変えてはいけない。戦争や核兵器が無い世界を目指し運動を継続しよう」と訴えると会場は拍手で包まれました。アメリカや韓国、フランスなどの海外代表からの発言もありました。
1日のビキニデー集会には1700人が参加。来賓あいさつで中野弘道焼津市長は、「核兵器のない世界の実現は、私たちの共通の願いであり、共に平和運動を展開し、世界平和実現のため引き続き取り組んでまいります」と述べられました。他にも、広島市長、長崎市長からもメッセージが寄せられました。
平和だから働ける
分科会の時間は全厚労独自企画として、「全厚労ピース学習会」を開催しました。開会の挨拶で全厚労平和委員の井上宗学中央執行委員は「私たちは普段病院で働いていますが、平和であるから働けている、今日は平和について皆さんと学んでいきたい」と述べました。
今年の企画は、核廃絶のドキュメンタリー番組の鑑賞会。「終末時計」の針を押しとどめようと力になった二人の少女、佐々木禎子さん(被爆当時2歳)と、中村節子さん(被爆当時13歳)の物語です。
終末時計残りわずか
終末時計とは、アメリカの科学雑誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」が毎年公表する人類滅亡までの時間を示す指標で、2025年版では残り「89秒( 26年は85秒)」と過去最短としました。終末時計の残り時間は米国の著名な科学者らで構成する「科学安全保障委員会」が中心になり、過去約1年のさまざまな国際情勢を分析、リスク評価して決めています。今回の時刻決定について同誌や同委員会はまず、「ロシアのウクライナへの侵攻による戦争が3年目を迎え、軽率な決断や偶発的な事故によりいつ核戦争が起きてもおかしくない状況だが、核を管理するプロセスは崩壊しつつある」と指摘。気候変動、AIのリスク、そして「核の脅威」が時計の針を進めました。記者会見にはフアン・マヌエル・サントス(元コロンビア大統領・2016年ノーベル平和賞受賞)氏が出席し「広島と長崎への原爆投下から80年。時計の針を戻すために正しい選択をする時間はまだあります」と訴えました。
二人の少女の物語に涙
佐々木禎子さんは原爆の放射線障害による白血病で、12歳でこの世を去りました。禎子さんは最後まで生きる望みを捨てず鶴を折り続けました。この物語は世界各国で翻訳され、時と場所を超え語り継がれ、知られることのなかった原爆被害の真実を世界に伝えることになりました。
中村節子(サーロー節子)さんは、被爆直後生き埋めとなりましたが奇跡的に生還。しかし、原爆で大切な姉と甥を亡くしました。戦後はアメリカ・カナダに移住し英語で原爆の被害を語りました。生々しく力強い言葉は核の恐怖を数字や理論ではなく人間の苦しみとして伝え、世界の人々の心を揺さぶりました。二人の願いは世界初の核兵器禁止条約の制定という形で実を結びました。節子さんは条約制定に力を尽くした、NGO「核器廃絶国際キャンペーンICAN」の一員として2017年ノーベル平和賞を受賞しました。伝えて広めよう
上映会後の感想交流では参加者から、「一度じゃ分らないことが何度も参加することで分かることがある」「50歳になってから平和を学習し始めた。いろいろ平和について学習をした。子供や孫に戦争に出てほしくない。二度と戦争が起きないように。高市政権になって、憲法改正の議論が出ている。こういう機会に考えてほしい。自分に何ができたか考えたが、なかなか難しい。参加してもらえる人を増やしていくことが労働組合の役目かなと感じた」「ビキニ事件を知らなかった。とても勉強になった。今、戦争やアメリカのイラン空爆など、日本は唯一の被爆国として、戦争は良くないと世界に広めていくことが重要と感じた」「人々は、悲惨さを知って動いた。労働組合としても本質的なことで過去何が起こったか実相を知るということが重要。一方的な意見や、実相を知らないで、戦争に向かう世論がある。日本だけではなく世界中の人とつながっていると感じた」「放射線技師として、放射線でがんを直すことができる。原爆は使い方を間違っている。いい方向に使ってほしい」など発言があり、活発な交流ができました。