福島第一原発 40年先も廃炉見えず自分の目で見て、感じる原発問題

 5月12日~13日、全厚労平和委員会は福厚労の提案を受けて「福島原発視察ツアー」を開催。7県25名が参加し、双葉郡にある廃炉資料館、福島第一原子力発電所、放射性物質に汚染された廃棄物の中間貯蔵施設を視察しました。

原発のある地域の医療活動

【震災時、避難したままのデイサービスの事務所】

 参加者は貸し切りバスで移動バス内では福島第一原発の半径5キロ以内にあり現在も休止状態となっている双葉厚生病院の震災当時の記録を残したDVDを鑑賞しました。
 当時の病院長や看護部長、施設スタッフによる証言で、大地震・津波による急患や入院患者の対応に最前線で当たっていた双葉厚生病院が、原発事故発生により突然の避難を余儀なくされ、患者の安全第一を考えながらも混乱を極め当時の状況が語られました。避難活動のなかで患者・スタッフともに被ばくし3月の寒い日に冷たい水で除染のためのシャワーを浴びたこと、当時の状況は原発事故が起きたときの物資や避難想定をはるかに超えていたこと、原発から離れて暮らす今も、放射能への健康不安が話されました。福厚労齋藤執行委員長からは、双葉厚生病院・鹿島厚生病院で被災した組合員の状況、原発事故により立ち入りが制限され救助活動できなかったことや、現在も続けている帰還困難区域内のボランティア活動について報告頂きました。

作業できず事故当時のまま

 東京電力がかつて「福島第二原発」を建設するためのPR施設として建てられたエネルギー館は、現在原発事故の反省と教訓を伝えるための「廃炉資料館」となっています。 参加者は館内で廃炉事業の進状況や、原発1号機から4号機の事故の当時の状況を映像で学習しました。

【線量の高い瓦礫で撤去作業が進まず、大型カバー設置に向けクレーン作業中の1号機】

 福島第一原子力発電所内には厳重な身分証のチェックや、金属探知機を経て入構。1日約4500人の作業員や見学者は、構内に立ち入る際に放射能の個人線量計を装着することが義務付けられており、個人被ばく原発量がチェックされます。原発の各号機はともに 「冷温停止状態」となっており、3号機・4号機は使用済み核燃料プールから燃料を取り出すことが完了し、構内の放射線量は大95%のエリアでは作業員は防護服でなく一般作業着で行き来することが可能となっています。
 しかし1号機~4号機付近は放射線濃度が極めて高く、見学バスを降りた展望台で担当者が測ると100ASVに到達。1号機は放射線量が高く内部の作業が出来ないため、事故当時の水素爆発によるガレキがむき出しのままの状態となっていました。
 現在は、ガレキ撤去作業時に高濃度の放射線が付着したダストが飛散するのを防ぐため、大型カバーを設置するための骨組みを作っている状況と説明がありました。1号機の使用済燃料や、燃料が溶けて固まった「燃料デブリ」の取り出しは、無人でのカメラ付きロボット等を 使用し30~40年をかけての取り出しが想定されています。しかし高い放射線量に対応できる機械自体が現状存在しないこと、1号機内部のデブリは試験的に2ミリ程度の採取が精いっぱいのなかで880トンの取り出し方法が確立されていないなど担当者は、廃炉のゴールが40年で完了するのかも分からない状況だと話されました。

復興待つ無人の町

中間貯蔵施設の視察風景

震災時、避難したままのデイサービスの事務所

 2日目に訪れた 「中間貯蔵施設」は、原発を取り囲むように大熊町・双葉町の帰還困難区域にありました。もとは民家や商店があった場所は8割程度を国が買い取り国有地となっていますが、 地上権で契約されている方もいます。一部の住宅や小学校・施設などを除いた2町にわたる広大な土地で、除染で取り除いた土や、作業員の防護具など放射性物質に汚染された廃棄物を分別し、土はならして土壌貯蔵、また可燃物は焼却灰を貯蔵施設で保管しています。この中間貯蔵施設は2045年3月までに可能な限り減らし、再生利用を図ったうえ福島県外で最終処分することが法律で決められていますが、実際に目処は立っていません。

ツアー参加者で「まもろう平和」をアピール

 地内の小学校にはランドセルが置かれたまま、デイサービス施設は震災時、避難し事務所内のカレンダーは12年前の3月のままでスタッフの車も駐車場に残されていました。無人の町は参加者の目にも切なく感じました。区域内は作業トラックの往来や、申請による見学、一時立ち入りでの、自宅やお墓参りに来られる方もいらっしゃるそうです。かつての「警戒区域」は、全て避難指示解除準備区域や、居住制限区域、帰還困難区域のいずれかに見直され、徐々に住民の方が帰れる区域も増えてきています。住民が安心して戻れる、暮らせるふるさとのためにも、国と東電は原発再稼働に走るのではなく被災者に真摯に向き合って欲しいと思いました。