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平和委員会

(上)久保山愛吉さん墓参行進後の記念撮影、(中)墓前で二度と核被害を出さないと祈る参加者、(下)ビキニデー集会でみんなで手を繋ぎ「ウィシャルオーバーカム」を熱唱
◆ 2012.03.13

核兵器と原発、再び「核被害」起こさない世界へ


3・1ビキニデー集会で参加者ら強い決意
 今年のビキニデーは、昨年3月の大震災・原発事故を受けて、世界的に動き始めた「核兵器廃絶・全面禁止」の課題と、脱原発・自然エネルギーへの転換をめざす運動が一体になって開かれたのが特徴でした。全厚労からは、23名が参加、福厚労からも青年部2名が来てくれました。

 2010年5月、国連で189カ国が参加して核不拡散条約(NPT)再検討会議が行われ、「核兵器のない世界の平和と安全を達成」することを決めました。そして昨年12月の国連総会では、ニュージーランドやメキシコなどの非核7カ国が提案した新アジェンダ連合の「核兵器のない世界をめざす」提案が、日本を含む賛成169カ国、反対6、棄権6の圧倒的な多数で採択されるなど、核兵器廃絶の声が世界のゆるぎない流れとなっています。国連総会議場の入り口には、原水協がNPT再検討会議に向けて集めた700万筆の署名が納められた高さ3メートルのツインタワーが設置されて、核兵器廃絶を訴え続けています。
 2月29日の原水協集会には1600人、翌日の第五福竜丸・久保山愛吉さんの墓参行進・ビキニデー集会には、1800人の参加者が集まりました。ビキニ被曝二世のマーシャル諸島ロンゲラップ島のグレイスさんの他、アメリカ、韓国、グアムの平和運動代表者ら5名の海外代表も参加しました。
 開会集会では、全厚労として参加者全員でステージに登壇、「生活と医療と平和を守る」という全厚労の方針を実践し、これまで以上に平和運動を強めることを力強く宣言しました。また集会では全ての人が手を繋ぎ「ウィシャルオーバーカム(黒人公民権運動の象徴の歌)」を参加者みんなで熱唱しました。
 今後、全厚労女性委員会では、6月の女性集会で、フクシマと原発・放射能問題を学びます。また全厚労平和委員会でも、7月15~16日、独自の「平和集会」を企画し、神奈川横須賀市で米軍基地被害や日米安保の問題等を学ぶ予定です。
 3月11日、震災1周年を迎えましたが、復興やエネルギー転換の課題は長い取り組みが必要になります。これからがたたかいです。みんながんばりましょう!

【参加者の感想から】
○脱原発の分科会に参加。福島の人たちが県外の人との温度差を感じたり、子どもたちが首から線量計をぶらさげて遊んでいたりなどの話を聞いた。被害に遭った人々の悔しさやあちこちで行われている支援活動を聞いて、支援を続けることが大切と感じた(大分)
○ビキニ事件について初めて知った。大石又七さんの56年前の実体験を聞き、改めて原爆、核の怖さを感じた。自分にできることを学び考えていきたい(福島)
○ 全厚労でステージに上がった時に、前々回のNPt要請行動に同じグループで参加さた方と再会し、お互いの活動を報告しえたことが嬉しかった。安斎先生が「核兵器を大量に保有するアメリカが、北朝鮮やイランに核開発をするなと言ってもヘビースモーカーが禁煙運動をしているようなもの」と言ったことにその通りと感じた。まさにその通り。私たちも分かりやすい言葉で伝えていくことの大事さを感じました(茨城)
○大石さんの生々しい体験談は身の毛がよだつものだった。「弱い立場の人には何をやってもいい」という姿勢がアメリカに感じられ怒りが沸いてきた。「ビキニと福島は同じ」と大石さんが言っていた。真実を隠す体質が今も昔も変わっていないことが残念だった(秋田)

(豆知識)ビキニデーって何?
 1954年3月1日未明、アメリカは太平洋マーシャル諸島・ビキニ環礁で「ブラボー」と名付けた大規模な水爆実験を実施。広島型の1000倍を越える威力の水爆実験によって、「死の灰」がアメリカの設定した「危険水域」を越え、マーシャル諸島島民や周辺海域で操業していた日本のマグロ漁船などに降り注ぎ、海流・気流に乗って全世界に広がりました。この水爆実験から日本の核兵器反対運動が大きく盛り上がり、翌年には「核兵器禁止署名」が3200万筆を越え、55年8月に初めての「原水爆禁止世界大会」が始まります。水着の「ビキニ」という名称はビキニ環礁で原爆実験が行われ始めた46年の世界的な衝撃に、フランスのデザイナー、ルイ・レア-ルが自らデザインしたセパレート型の水着に名付けたことが由来です。




     
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