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平和委員会

写真上)平和学習会でグループワーク、中上)墓参行進で焼津港付近を行進する参加者、中下)弘徳院で手を合わせる長厚労の野沢さん、下)参加者が熱唱したビキニデー集会の様子
◆ 2013.03.13

3・1ビキニデー&平和学習会開催


核はいらない・平和を守ろうと決意新たに

 2月28日~3月1日静岡県焼津市にて3・1ビキニデー集会が開催され全国集会に1500人が参加。全厚労からは平和学習集会を合わせて開催し、27名が参加しました。3月1日には故久保山愛吉さんへの献花墓参行動が行なわれました。

情報を隠す国の政策は福島原発事故の対応に似ている
 全厚労は「平和でこそ命は守れる」「命を奪う戦争と医療は相容れない」として毎年8月の原水禁世界大会とビキニデー集会に参加。今年はビキニデー集会に合わせて平和学習会を開催しました。
 高知の高校生たちが平和ゼミナールとして第5福竜丸だけではないビキニデー被災の真相を探った「ビキニの海を忘れない」を覧賞したあと、4班に分かれてグループワークを行いました。
 参加者からは核実験の真相にふれて「水爆実験が6回行なわれ少なくとも856隻の漁船が被ばくしていたことを初めて知った」「マーシャル諸島のビキニ環礁の事は知っていたが1回の実験にたまたま居合わせたくらいにしか思っていなかった」、「日本近海にも放射性物質が飛来していて、汚染されたマグロが沢山水揚げされたのは知らなかった」など率直な感想が語られていました。
 特にアメリカの賠償金が支払われた後、日本政府が水産物や漁船の放射線調査を止めてしまい、被ばく線量が隠された実態や被ばく補償が曖昧な線引きで行なわれ、補償を受けた人と受けられなかった人で差別がおきた状況を聞き、「福島原発事故の対応に似ている」と今起こっている政治の状況と合わせて「職場に帰ったらみんなに知らせたい」と話が出ていました。

「核はいらない」の決意新たに献花
 翌3月1日は焼津駅から、ビキニ水爆実験の被災者で「核兵器の被害者は私を最後に」と遺言を残した久保山愛吉さんへの献花墓参行動に参加し約2.6kmを行進しながら「核兵器を廃絶しよう」「ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ・ノーモアビキニ」など、核兵器廃絶を訴えました。墓前祭では「核はいらない」「平和を守ろう」と決意新たに献花を行いました。

私たち自身でもっと勉強しなければならない
 午後は焼津文化センターで行われた「被災59周年3・1ビキニデー全国集会」に参加しました。
 焼津市の中野弘道市長は平和の取り組みとして、長崎へ出かけた中学生に体験談を聞ける最後の世代として学び、平和を学習する「平和使節団」の取り組みが紹介され、「第五福竜丸の経験を次世代に語り継ぎ、一歩一歩核廃絶に向かって歩んでいきたい」と表明。脱原発を目指す首長会議の世話人を務める湖西市の三上元市長は「今年は巳年、核エネルギーに頼る体制を脱ぎ捨てクリーンなエネルギーの年になるよう、核被害を4回経験した日本が率先して行動しないといけない」と発言しました。
 第五福竜丸で無線技師をしていた大石又七さんは「私たちが目を光らせていかなければならない。政府は原発を作り、事故後『心配ない』と繰り返した。私たち自身でもっと勉強しなければならない。私は被ばくの当事者として核の恐ろしさを伝えたい」と述べました。
 元ロンゲラップ島民(マーシャル諸島・ビキニ環礁から約200キロ)で上院議員のケネス・ケディさんからは「アメリカ政府が除染は終わったとして帰島を促しても、59年経った今も『本当に安全なのか』不安を抱き一人も帰っていない状況」が報告されました。

決意のこもった「We shall overcome」の熱唱
 2015年の核不拡散条約(NPT)再検討会議にむけて核兵器全面禁止の流れを加速するために、全国の草の根から行動を広げようと呼びかけるアピールを採択しました。
 最後に決意を込めて、参加者と一緒に「We shall overcome」を熱唱。全厚労も平和に取り組む医療団体として日本医労連とともに登壇しました。




     
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