HOME  > 平和委員会

平和委員会

8月9日、原爆投下中心地の碑前で記念撮影(上)、映像のひろばに参加されたオリバー・ストーン監督とピーター・カズミック教授(中上)、閉会集会で、海外代表と子ども達(中下)、閉会集会で各地からアピール(下
◆ 2013.08.09

日本政府は被爆国の原点に返れ!


2013年原水爆禁止世界大会in長崎に41名が参加

 8月7~9日、原爆投下から68年目を迎える長崎で、「2013年原水爆禁止世界大会」が開催され、7日の開会総会には6500人、9日の閉会総会に7000人が集まりました。「二度と核被害のない日本と世界を」の声を広げ、現在303万筆を集めた「核兵器廃絶を求めるアピール」国際署名を地域でさらに広げようとの呼びかけがなされました。

 7日の開会総会では、各国政府や平和団体の代表からも発言。毎年参加されているアメリカのジョゼフ・ガーソン氏は「闘争なくして政府は動かない。デモやモブ、SNSなど楽しく運動を起こそう」と、反核・平和を願う一人ひとりが積極的に動くことを呼びかけられました。
 地方自治体の市長からもエール。静岡の三上元・湖西市長は叔父・叔母さんが被爆し、長女が不正常で生まれ、その後子どもが生めなかったことを打ち明けられ、「原発は武器ではないが、有事の際に狙われたら原爆に変質する」と「原発は核兵器とみなす」ことを提案されました。岐阜の堀孝正・瑞穂市長は、合併で若い人たちが増えるなかで、「非核・平和都市宣言」を行い、次代を担う中学生を広島・長崎へ派遣している取り組みを報告されました。
 今年の世界大会には、アカデミー賞監督のオリバー・ストーン氏も参加。ドキュメンタリー「もう一つのアメリカ史(原題直訳は「語られなかったアメリカ史)」を共同脚本したピーター・カズニック教授とともに広島や沖縄なども訪れ、反核運動や反基地運動の市民たちと連帯されていました。

核兵器使用の前提に立つ日本政府に怒り
 長崎市の平和宣言で田上市長は、国連のNPT再検討会議で80ヵ国が賛同した「核兵器の非人道性を訴える共同声明」に、日本政府が「いかなる場合も」との文言削除提案が受け入れられず、署名しなかった姿勢に対して、「二度と世界の誰にも被爆の経験をさせないという被爆国の原点に反する」として、日本政府を厳しく批判するとともに、NPT未加盟国で核兵器保有国であるインドと原子力協定交渉をすすめる動きに対しても、「核兵器保有国を増やさないというルールを定めたNPTを形骸化する」と指摘し、日本政府に「被爆国としての原点に返ることを求める」と2度に渡って政府の姿勢を質しました。
 世界大会参加者からも、原水爆は「絶対悪」だと訴えた広島市長や長崎市長が、毅然と政府の姿勢を質したことに対して、大いに賛同の声が寄せられました。

 全厚労の参加者たちは、爆心地公園の原爆碑前に集合して記念撮影した後、それぞれ折り鶴を奉納しました。
 閉会集会では、各地で署名行動などに取り組む地域や女性・青年のメンバーたちが登壇し、それぞれの取り組みと決意を訴えました。秋田では教育委員長や県知事に要請したことで、教育委員会内や県庁で「アピール署名」が数多く集まったことが報告されました。
 集会の最後に採択した「長崎からのよびかけ」では、冒頭で、
私の顔や手をよく見てください。よく見てください。世界の人々、そしてこれから生まれてくる人々、子どもたちに、私たちのようにこのような被爆者に、核兵器による死と苦しみをたとえ一人たりとも許してはならないのであります―
 という山口仙二さんの1982年第2回国連軍縮特別総会での演説の言葉を引用されて、被爆体験の継承や平和行進・署名行動などのアピール、沖縄などの基地のたたかいや原発反対・自然エネルギー推進の運動などとも連携し、二度と「核の被害者をつくらない」の願いを一つに連帯を大きくしよう、と訴えられました。

参加者の感想から

全体集会に関して
◎日本全国をはじめ世界各国から参加した7千人もの人々が、核兵器を地球上からなくそうと熱心に行動していることに感動した。特に「核兵器をなくすのは、今でしょう!」と発言したフィリピンのマラヤ・ファブロスさんだったでしょうか。とても印象に残りました。(秋田)

◎参加する度に、新たな学びのある集会に参加することができ、参加者としての〝責任〟も改めて感じています。改憲を掲げる自民党が政権を握り、数を力に推し進めようとする中で、いま私たちができることは「知って知らせて行動する」それしかない!!と思います。改憲は決して遠い話ではなく、すぐそこまで迫っているということももっと認識して、行動する仲間を増やしていきたいと思います。被爆者は遠い国にいるのではなく、ここ日本にいて協力を命をかけて求めているのだから…(茨城)

◎座った席が舞台の真横で見にくかったので、発言者の顔や表情が分からなかったのが残念。でも全体の雰囲気や団結感など身体で感じ取れたので良かったです。最後の方たちや発言者のパワーがすごかった。原子力発電所そのものが標的にされたら核爆弾になるというのが衝撃だった。(県不明)

分科会に参加して
◎核兵器の非人道性やNPT条約についての学習をすることができて良かったです。原爆症集団認定がなかなか認められず苦しんでいる被爆者がいる事実を知って驚きました。一般市民として国同士の核戦争に巻き込まれるわけにはいかないと思ったし、核戦争を拒否する権利もあるのだと学びました。(6・被爆体験の継承・高知)

◎被爆された方の生の声を聞け、戦後の生活状況・気持ちなどが少しでも理解できた。私は実際、被爆の場面を体験していないため、話を聞くだけではなんとなくだった。でも福島の風評被害、差別のようなものはある、被爆者の友人等、差別を受けた。そこは共感できた。本当に辛いことです。しっかりみんなに大会の報告していきたい。(11・青年のひろば・福島)

◎暑い中、歩けたことはいつまでも記憶に残ります。実際にまだ小学校のグラウンド等には遺骨が埋まっていると聞きました。本当にもうこのような思いはしたくない、我々の子ども達にもさせたくないと思いました。(14・動く分科会・秋田)

◎被爆者の田中さんの話を聞いて、原爆の落ちた後、子孫にまで影響が多く出ていると知って、とても恐いと感じた。原爆が落ちた後の落下地点の長崎の状況も死者・負傷者が多くて、生き残った方々も救護活動をしていた人々の体調にも影響が出ていたのが、恐ろしいと感じた。私たちの世代は、戦争や核爆弾のことを話でしか聞いたことはないが、再び繰り返さないためにも、実際に体験した方々の話はとても貴重で大切だと思った。(14・動く分科会・茨城)




     
Copyright(c)ZENKORO. All rights reserved.