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再開した鹿島厚生病院の外来待合室(上)、被災地に散乱するテトラポット(下)
◆ 2011.04.14

福島県・鹿島厚生病院 外来再開へ


 屋内退避区域圏外ぎりぎりの所にある鹿島厚生病院は、避難していた住民の一部と職員が戻ったこともあり4月11日に外来診療を再開しました。今のところ外科と内科で対応していますが診察や薬をもらいに訪れた患者さんはほっとした表情を見せていました。1日も早く全面再開し、またもとのように地域医療に貢献できる日を住民も職員も待ち望んでいます。しかし、原発事故は最悪のレベル7の評価が発表され収束の目処もたたない中、震度6の大きな余震も続き、一ヶ月以上も経った今も住民は深刻で不安な状態から解放されていません。

原発事故にともなう特別な支援措置を要望
4月18日(月) 農水省、厚労省と交渉

 労働組合は東日本大震災に関わる要望書を福厚労と全厚労の連名で厚生労働省、農林水産省に提出し4月18日の交渉にこぎつけました。今回の震災で各医療機関は甚大な被害に合いましたが、加えて福島厚生連は原発事故により異例で深刻な状況にさらされています。当面の経営と先行きについて心配があります。原発事故の終息の見通しが立たない中で自力での復興には限界があります。原発事故にともなう特別な支援措置が必要です。労使間での内部の協議も大事ですが外部への働きかけが重要です。地域医療の継続と雇用を守るために、組合は当面災害対策を優先にして今後も活動をして行きます。

折笠対策本部長レポート

 私は今回の地震で起きた津波の様子を、報道、写真、動画等でしか見たことがありませんでした。実際にこの目で見る必要があると思い立ち、地震から1ヶ月以上も経った今更ですが20㌔~30㌔の屋内退避の津波の後の現場に数時間ほど入りました。そこに集落があり家並みがあったことなど信じられないほど跡形もありませんでした。それは海岸に近付くほど如実で堤防は壊され、防風林だった松林はなぎ倒され家の土台さえない所もありました。そこに小さな港があって、市場があって生活が営まれていた事など想像もつきません。海にあったテトラポットが集落のあった所にゴロンと転がり、港に浮かんでいたはずの船も遠くに流され見当たりませんでした。かろうじて生活が覗えるのは布団やバケツ等の生活用具、子供のものであろう縫いぐるみ、お年寄りが押していたであろう老人カー等が散乱しているだけ。どんなに恐ろしかったか、どんなに苦しかったか。異臭を放つ瓦礫と汚泥の中にまだ幾人もの行方不明者がいるかと思うと、放射能の心配も忘れただ茫然と立ちすくむばかりでした。再度の地震や津波の心配はあっても長年住みなれた土地に戻りたいと言う気持ちはありながら、放射能と言う見えない壁が立ちはだかっている以上はその希望さえ持てないのです。重い気持ちと足取りで現場を後にしました。




     
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