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元気に働く双葉の組合員や仲間たち(上)、南相馬市の様子(中)、ボランティアの様子(下)
◆ 2011.07.05

福厚労災害対策本部を解散しました


 福島県厚生連は5月20日をもって東日本大震災災害対策本部を解散し、新たに復興、原発事故対策本部としました。それに伴い組合の対策本部も解散しました。今後の復興に向けては中央執行委員会で協議し、会とは常任員会の中で話し合っていきます。対策ニュースも今回をもって終了し、今後は福厚労ニュースで震災関係についてお知らせしていきます。
 福島第1原発事故は警戒区域、緊急時避難準備区域、計画的避難区域の他、放射線量によって新たに特定避難勧奨地点が設けられるなど、収束どころかますます深刻な状況に陥っています。このままでは双葉厚生病院の再開の目処は全くたたず当面5病院での運営になる事を会も組合も想定し確認しています。いつ家に戻れるかわからないと言った不安の中で働く双葉の皆さんの気持ちを考えると、組合は今後も支援の手を休めることは出来ません。現在、分会ごとに「相談会」や「励ます会」の開催で相談を受けたり激励をしたりしています。

鹿島厚生病院南相馬市の重点医療施設に
 鹿島厚生病院は避難準備区域周辺で唯一入院を受け入れられる病院でしたが、渡邉院長等の要請で県は避難準備区域でこれまでの10床から205床を認めることになりました。現在、鹿島厚生病院は入院が増加の傾向にあり、鹿島区の仮説住宅1,000棟に住民3,000人が入居する予定です。この地域の中心的病院となる可能性があり、そうなればスタッフの負担も多くなり人員不足になる事が心配されています。

放射線線量計を各分会に
 放射能を正しく測り正しく対処するために労組では各分会に線量計を配布しました。自宅周辺など測定したい組合員の方は貸出しをしています。

再び南相馬に
 震災から100日以上が経過しましたが、再び南相馬の津波に襲われた場所を訪れました。
 今回は海苔の養殖と潮干狩り観光で有名な松川浦まで足を運びました。津波はかなりの広範囲にわたるものだった事を再度実感しました。漁船は遠く国道まで流され、田んぼや道路に何隻もの船が横たわっていました。また、地盤沈下で浸水したままの家や車も多く見られました。道路の瓦礫はまとめられたもののうず高く積み上げられ、未だ震災の爪痕が色濃く残ったままでした。この日は快晴、海は穏やかな姿を見せ鋭い牙を剥いた事など信じられませんでした。家族や友人を奪われた海が近くにあっても、再びここに戻りたい、ここで暮らしたいと願う住民の気持ちがわかるような気がしました。現在、ボランティアが他県からも訪れ、瓦礫の撤去や泥上げなどをしていますが復興までにはまだまだ時間を要する模様です。

ボランティア活動でお返しを(7月1日相馬郡新地町へ)
 震災後私たちは多くの方々に支えられて来ました。直接のお返しにはならないかも知れませんが、何らかの形で私たちに出来る事をしたいと考え相馬郡新地町に入りました。12名の参加で家屋痕の瓦礫撤去や泥上げに汗を流しました。たった1日だけの作業でしでしたが、意義のあるものだったと思います。

原発ゼロへ2万人・福島からも発信
 7月2日、東京・明治公園で開催された「原発ゼロをめざす7・2緊急行動」に福厚労を代表して永井副委員長が参加しました。2万人を超える参加者を前に震災での組合の取り組みや福島県の実情などについて報告しました。
(福厚労災害対策ニュース20号より)




     
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